日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。
西近江路は北国海道などとも呼ばれる近江の中でも東山道と並んで最も古くからある道で、起点は札の辻、現在は浜大津から逢坂に向かう国道161号線の東横INNのある交差点である。 今回のあらうんど日吉台では下阪本のKKR琵琶湖に近い四ツ谷の交差点からこの西近江路を北に向かって歩いてみた。
旧道に入って200m程進むと左手に志津若宮神社がある。 日吉大社の社外百八社のひとつで、祭神は大山昨神(おおやまくいのかみ)と菊理姫神(きくりひめのかみ)とある。 因みにこの沿道の社寺には下阪本学区まちづくり推進協議会による案内板が整備されており、訪問の際の良い案内になっている。
志津若宮神社を過ぎて100m程進むと、四ツ谷川を渡る。 この日は川は干上がっていたが、湖西の多くの川がそうであるように運ばれる土砂のせいで河床が高くなっていわゆる天井川になっているため、川を越えるのに少し坂を上り下りする必要があった。 四ツ谷川の土手には桜が植えられているので、春に訪れれば美しい光景を見せてくれるだろう。
四ツ谷川から200m程で右手の家並が途切れ、琵琶湖側に山王鳥居を望むことができる。 この山王鳥居は国道161号線の湖側に突き出た船着き場になっていて、山王祭の船渡御は七基の神輿を載せてここから出発する。
綺麗な門構えの長善寺、立専寺などを見ながら200m程進むと、右手に坂本城址の石碑が見えてくる。 大津市が設置した立派な案内板がある割にはこの石碑と坂本城の位置関係を示す記述は全く無かったが、どうやら坂本城の本丸は写真左正面に門が見えている東南寺の裏手にあったようだ。
蓮瑞寺の手前に旧大道町という案内石柱があり、それによるとこの辺りの西近江路は廃城となった坂本城の堀を埋めて広い道を作り、それが旧町名になったとある。
名前通り多少幅員のあるゆったりとしたカーブの旧街道をさらに進むと、やがて「両社の辻」と呼ばれる点滅式信号機のある交差点があり、ここで国道161号線と石坂線松ノ馬場方面を結ぶ道と交差する。 この交差点を左手に折れると直ぐに酒井神社、両社神社、その先には下阪本小学校と市民センターがあり、国道からの車の流れもそれなりにあって、下阪本の中心部分とも言えそうだ。
少し寄り道して酒井神社と両社神社を見てみる。
酒井神社の境内には以前は両社の辻にあった「右 北国」「左 日吉山王/ひゑい」と書かれた道標が移設されている。 またその左には琵琶湖洪水石標というのがあり、明治29年(1896年)の大洪水の時には石標の上から約4分の1の所にある横線の位置まで水がきたとあった。 治水技術が未発達だった頃はびわ湖の氾濫などということが現実に起こっていたしるしである。
(西近江路を歩く(後編)につづく)