日吉台はびわ湖と比叡山の景観に恵まれ、坂本や比叡山の歴史的文化遺産にも近く、少し歩けば里山の自然にも触れることのできる大津でも一番の(多分・・・)住宅地です。 「あらうんど日吉台」は日吉台周辺のスポットやお散歩コースを写真と共にご紹介するコーナーです。
日吉台周辺散策でやはり外せないのは紅葉の時期の西教寺、坂本界隈だろう。 今回は西教寺から千体地蔵のある山沿いの道を通って日吉大社に向かい、その後坂本界隈を少し歩いてみることにする。
先ずは日吉台商店街の滋賀銀行前の交差点から、坂本8丁目の専称寺方面に向かう。ちょっとした坂道だがこの坂の上からは日吉台とその向こうに比良山が遠望できる。 少し坂を下って専称寺の前の交差点に出た後、右折して再び坂を上って西教寺に向かうが、ここは高低差が40mぐらいあるので運動不足の方は少し息が切れるかもしれない。
西教寺は天台真盛宗の総本山で坂本に城のあった明智光秀の供養塔があることでも知られている。 門を入ると両側に僧坊の並ぶ坂道の紅葉が美しく、さらに進んで左手の宗祖大師殿の前からは琵琶湖や三上山が遠望できる。
西教寺を出て次は日吉大社をめざす。西教寺前の県道47号線を少し下り「千体地蔵尊→」の看板に従って右に折れる。 この道は見晴らしが良く、ススキ越しに南湖が美しく見える。
右に折れてから150m程で右手に千体地蔵がある。 案内看板によると周囲に無数に散らばっていた地蔵尊が田畑の開墾に伴いこの地に集められたものらしい。 同じ様に多数の地蔵尊が集めらた場所は日吉台の団地内にもあるが、同様な理由によるのかもしれない。
静かな山裾の道を350m程進むと日吉大社から流れる大宮川を渡る鉄製の歩行者橋があり、橋を渡ってさらに150m程で県道と日吉大社東本宮横の入苑受付を結ぶ小道につきあたるので、お参りをする場合は右折する。
日吉大社の後は坂本界隈を少し歩いてみることにしよう。
旧竹林院の駐車場の道向いから敷石模様に美しく舗装された芙蓉園本館の山側の道を進む。
穴太衆積みの石垣を見ながら真っ直ぐ進むとやがて道は細くなり、権現橋で細い川を渡る。 渡った後は直ぐに左手に折れて「滋賀院 ↑」の案内板のある木の門をくぐって進み、突き当りを右に折れると慈眼堂(じげんどう)の横(下写真の左側)にでる。
この慈眼堂は織田信長の比叡山焼き討ち後の復興に尽力した天海僧正(慈眼大師)の廟所で、二列に並んだ石塔の奥に佇む姿が印象的だ。
写真中央の道を手前方向に進むと慈眼堂の門があるが、門から出ずに左にレ字型に折れる小道を進むと、今度は慈眼堂の琵琶湖側横手(上写真の右手)から下りの石段があるのでこれを下って天台宗務庁に向かう。 権現橋から天台宗務庁まで、ちょうど慈眼堂を迂回する感じだ。
石段を下って左手、天台宗務庁の正面向かいに「滋賀院門跡」の立札のある入口がある。 滋賀院門跡は庭園の拝観は有料だが、ここの通行は無料なので通り抜けさせて頂く。 滋賀院門跡の門を出ると入り口前には四角い池があり、この周囲から背の高い石垣や白壁、勅使門などを眺めることが出来る。
滋賀院門跡を後にして雙厳院(せきげんいん)の角を右折し、敷石模様に舗装された道を進むと蕎麦屋や和菓子屋、酒屋などが並ぶ通り少し賑やかな道につきあたる。 この道は南に向かうと盛安寺から穴太、さらにはかつては京都方面に繋がり、北は100m程で日吉大社参道、西教寺を結ぶ古くからの道である。
この道を日吉大社参道方向に進み、坂本四丁目の信号のある交差点を渡った目の前が最澄(伝教大師)の生誕の地といわれる生源寺(しょうげんじ)であり、境内には「伝教大師御産湯の井」の碑と井戸がある。
最後は生源寺と太閤桜で有名な薬寿院に挟まれた道を西教寺方面に向かう。 日吉大社の参道とこの道の交差する角には「右 盛門西教寺道」の石碑が立ち、古くから西教寺に向かう道であったことを示している。 石垣や社寺の並ぶ落ち着いた雰囲気のある道を400メートルほど進むと、左折すると観光駐車場の前を通って県道47号線、右折すると専称寺に向かう新しい道との交差点にでる。 日吉台まではあと1km程だ。
坂本には多くの社寺があり、入り組んだ道がそれらを結んでいる。 車で通るにはいささか狭かったり、或いは歩いてしか通れない道も多い。 地図を片手にゆっくり歩けばいろいろな発見がありそうだ。